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『それから』を読み解く

 前期三部作の2つ目の作品です。『三四郎』に登場する「美禰子」とは全く違ったタイプの女性「三千代」が登場します。主人公の「代助」は、漱石がよく描くタイプの人物です。経済活動だけのためにほとんどの時間を費やして精神を消耗し、本来あるべき自身の精神活動を失ってしまった人間の反対の人物像です。現実の世の中と自身とのギャップ、型にはまった古い道徳観と、自然に生きようとする自身とのギャップに苦しむ人物です。

  1. 一 主人公の長井代助は、大学を卒業しても働かずに一日中本を読んだり、音楽を聴きに行く生活をしています。
  2. 二 大学時代に親友であった平岡常次郎が帰京し、代助に会いに来ます。
  3. 三 代助は、月に一度本家に金をもらいに行きます。父と会うたびに戒めの言葉をもらいます。
  4. 四 代助は、学生時代に懇意にしていた三千代に会います。
  5. 五 代助は、平岡の借金を返済するため、兄の誠吾からお金を借りようとします。
  6. 六 平岡は、借金の話を直接代助にはしません。代助と平岡との間で、労働についての激論があります。
  7. 七 親友の菅沼と平岡、菅沼の妹の三千代との交友を回想しています。
  8. 八 兄の妻の梅子がお金を貸してくれました。平岡は三千代が借りたようなことを言います。
  9. 九 代助はまた父から呼ばれました。縁談話です。
  10. 十 三千代が代助を訪ねます。
  11. 十一 代助は、今の自分の生活のことなどについて考え続けます。
  12. 十二 三千代に代助が渡した二百円は生活費に回ってしまいました。
  13. 十三 平岡と三千代との間には夫婦愛は全くありません。代助は、この夫婦の間は元に戻せないと感じます。
  14. 十四 代助は、縁談を断ると梅子に言います。私は好いた女があるんですと言い切ります。
  15. 十五 代助と父との決戦のときです。
  16. 十六 三千代が軽くない病気に罹りました。代助は、平岡に三千代との関係を話し、謝罪します。
  17. 十七 親子絶縁の時がやってきました。

一 主人公の長井代助は、大学を卒業しても働かずに一日中本を読んだり、音楽を聴きに行く生活をしています。

 長井代助は、書生の「門野」と「婆さん」との三人暮らしです。門野は代助を先生と呼び、働かずに一日中本を読んだり、音楽を聴きに行く生活を羨ましく思っています。実際、代助は生活をするための経済活動を何もしていません。その代助は、門野のことを学校にも行かず遊んでいると評しています。

彼は健全に生きてゐながら、此生きてゐるといふ大丈夫な事実を、殆んど奇蹟の如き僥倖とのみ自覚し出す事さへある。

青空文庫 Kindle版 p.3

代助は、自身の内面を常に意識して、命を感じている人です。自身の徳義をもって生きる人です。

其代り人から御洒落と云はれても、何の苦痛も感じ得ない。それ程彼は旧時代の日本を乗り超えてゐる。

青空文庫 Kindle版 p.4

代助は、鏡に映る自身に満足しています。「羅漢の様な骨骼と相好」でなくてよかったと思っています。

自分の神経は、自分に特有なる細緻な思索力と、鋭敏な感応性に対して払ふ租税である。

青空文庫 Kindle版 p.11

門野が、自分と代助を同一型に属すると思っているようです。そのことに対する代助の考えです。代助は、職に就かないで本を読んで暮らすことを遊んでいるとは考えていません。

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二 大学時代に親友であった平岡常次郎が帰京し、代助に会いに来ます。

 大学時代に親友であった平岡常次郎が帰京し、代助に会いに来ます。
 平岡には借金があり、銀行は辞めたことを代助に話し、代助の兄の会社に世話になれないか代助に頼みます。

平岡は、仕方がない、当分辛抱するさと打遣る様に云つたが、其眼鏡の裏には得意の色が羨ましい位動いた。それを見た時、代助は急に此友達を憎らしく思つた。

青空文庫 Kindle版 p.17

平岡は、代助の周旋で結婚し、京阪地方の銀行に就職することになり、代助は駅まで二人を見送りに行きました。その時のことを代助が回想しています。この結婚の周旋が後の代助の運命を大きく左右します。

「僕は所謂処世上の経験程愚なものはないと思つてゐる。苦痛がある丈ぢやないか」

青空文庫 Kindle版 p.20

久々に会った平岡に代助が語った言葉です。銀行勤めの平岡と代助の間には大きな乖離ができてしまっています。

「・・・麵麭に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麵麭を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくつちや人間の甲斐はない。君は僕をまだ坊っちやんだと考へてるらしいが、僕の住んでゐる贅沢な世界では、君よりずつと年長者の積りだ」

青空文庫 Kindle版 p.21

麵麭を求めるために処世術を身に着けることを人生の中心にすることに代助は否定的です。平岡との対立は明確です。
 麵麭(パン)

代助をもつて、依然として旧態を改めざる三年前の初心と見てゐるらしい。

青空文庫 Kindle版 p.25

処世が中心となっている平岡から見れば、代助は学生時代から何の進歩もない人間です。

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三 代助は、月に一度本家に金をもらいに行きます。父と会うたびに戒めの言葉をもらいます。

 代助は、月に一度本家に金をもらいに行きます。本家には代助の父、兄、兄嫁とその子供二人が住んでいます。
 代助は、父と会うたびに戒めの言葉をもらいます。代助は、父からの縁談話をことごとく断り続けます。また兄嫁の梅子を通して縁談話がありました。

たゞ応へるのは、自分の青年時代と、代助の現今とを混同して、両方共大した変りはないと信じてゐる事である。

青空文庫 Kindle版 p.29

代助を悩ませているのは、父の旧態依然とした考え方と自分の考え方の相違です。父は、処世ということにおいて自分と同じように代助が考えないのは嘘だと思っています。

親爺の如きは、神経未熟の野人か、然らずんば己れを偽はる愚者としか代助には受け取れないのである。

青空文庫 Kindle版 p.32

父は、度胸が人間至上な能力であるかのように思っている人です。文明の中で育った代助は、父のことを愚かで気の毒な者ととらえています。

代助に云はせると、親爺の考は、万事中途半端に、或物を独り勝手に断定してから出立するんだから、毫も根本的の意義を有してゐない。

青空文庫Kindle版 p.33

代助には、父のもっともらしい話は空談にしか聞こえません。文明の外にある父の話を受け入れることができません。

たゞ職業の為に汚されない内容の多い時間を有する、上等人種と自分を考へてゐる丈である。

青空文庫 Kindle版 p.34

父からの話を受けて代助はこのように思っています。働くことにより、汚い処世術が自分の身に付くことを避けています。

「貴方は寐てゐて御金を取らうとするから狡猾よ」

青空文庫 Kindle版 p.40

代助は、兄嫁の梅子からも小言を言われます。ただ、梅子のことは人間的に気に入っていて、いつも気軽に話をします。

「先祖の拵らえた因念よりも、まだ自分の拵えた因念で貰ふ方が貰ひ好い様だな」

青空文庫 Kindle版 p.46

梅子を通してまた父から縁談話がありました。長井家と因縁のある家の娘で、父はぜひともこの話をまとめたいようですが、今回も代助にはそんな気は起こらないようです。実は代助には思う女がいます。

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四 代助は、学生時代に懇意にしていた三千代に会います。

 代助は、平岡夫妻が住む家を探すことになりました。平岡夫妻の住む家が決まり、引越の前日に平岡の妻、三千代が代助の家に来ます。
 代助と三千代は学生時代に懇意にしていました。
 平岡は、自分が作った借金の返済に困り、代助からお金を借りるよう三千代に頼みました。

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五 代助は、平岡の借金を返済するため、兄の誠吾からお金を借りようとします。

 代助と兄の誠吾は園遊会を抜け出して鰻を食べに行きます。その席で代助は平岡夫妻の話を持ち出し、平岡の借金を返済するため、誠吾からお金を借りようとします。誠吾は、放っておけばどうにかなると言います。

誠吾は父と異つて、嘗て小六かしい説法抔を代助に向つて遣つた事がない。主義だとか、主張だとか、人生観だ とか云ふ窮窟なものは、てんで、これつ許も口にしないんだから、有んだか、無いんだか、殆んど要領を得ない。其代り、此窮窟な主義だとか、主張だとか、人生観だとかいふものを積極的に打ち壊して懸つた試もない。 実に平凡で好い。

青空文庫 Kindle版 p.69

代助の兄の誠吾のことです。代助は、誠吾とは難しい仲ではなく、気楽に付き合っています。ただ、文芸には全く無頓着で代助には物足りません。その点で代助が好きなのは梅子です。
 嘗て(かつて)
 小六かしい(こむつかしい、こむずかしい)

斯う云ふ兄と差し向ひで話をしてゐると、刺激の乏しい代りには、灰汁がなくつて、気楽で好い。

青空文庫 Kindle版 p.70

代助にとって兄の誠吾はこんな感じの存在です。気楽でない存在は父です。

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六 平岡は、借金の話を直接代助にはしません。代助と平岡との間で、労働についての激論があります。

 代助は平岡の家を訪れます。平岡と三千代の死んでしまった子どもの話が出ました。
 平岡は、借金の話を直接代助にはしません。
 平岡の家で、代助と平岡との間で、労働についての激論があります。

代助は泣いて人を動かさうとする程、低級趣味のものではないと自信してゐる。凡そ何が気障だつて、思はせ振りの、涙や、煩悶や、真面目や、熱誠ほど気障なものはないと自覚してゐる。

青空文庫 Kindle版 p.74

代助の借金の申し出に誠吾はなかなか同意しません。代助は、感情に訴えて相手を動かそうとするのは、気障なことと考えているので、そのようなことはできません。

だから日本の文学者が、好んで不安と云ふ側からのみ社会を描き出すのを、舶来の唐物の様に見傚してゐる。

青空文庫 Kindle版 p.77

西欧の文学には不安が出てきます。そんなことも、日本が西欧にならっていると代助は考えています。

今の自分を批判して見れば、自分は、堕落してゐるかも知れない。けれども今の自分から三四年前の自分を回顧 して見ると、慥かに、自己の道念を誇張して、得意に使ひ回してゐた。
渡金を金に通用させ様とする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である。 と今は考へてゐる。

青空文庫 Kindle版 p.87

これを堕落というのか、謙虚というのか。理想を捨て、現実を直視せざるを得ないということなのか。三十そこそこの歳で成熟の極みに達してしまったのか。過去に犯した過ちが代助の頭を押さえつけているようにも思えます。
 慥かに(たしかに)
 鍍金(めっき、鍍金)
 真鍮(しんちゅう)

君はたゞ考へてゐる。考へてる丈だから、頭の中の世界と、頭の外の世界を別々に建立して生きてゐる。此大不調和を忍んでゐる所が、既に無形の大失敗ぢやないか。

青空文 Kindle版 p.89

平岡が代助に語ります。平岡は経済的に四苦八苦の状態です。代助が頭の外の世界に関わらないことを平岡が攻めています。

「何故働かないつて、そりや僕が悪いんぢやない。つまり世の中が悪いのだ。もつと、大袈裟に云ふと、日本対 西洋の関係が駄目だから働かないのだ。・・・・・日本国中何所を見渡したつて、輝いてる断面は一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。其間に立つて僕一人が、何と云つたつて、何を為たつて、仕様がないさ。・・・・・」

青空文庫 Kindle版 p.91-92

平岡から働かないことを攻撃されて代助は言います。今の世の中では、自分が働く意味がないと世の中の状況を悲観しています。

「つまり食ふ為めの職業は、誠実にや出来悪いと云ふ意味さ」「僕の考へとは丸で反対だね。食ふ為めだから、猛烈に働らく気になるんだらう」

青空文庫 Kindle版 p.94

代助は、神聖な労力ではなく、食うための労力を嫌悪しています。いくら話しても二人の考えは平行線です。

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七 親友の菅沼と平岡、菅沼の妹の三千代との交友を回想しています。

菅沼三千代との出会い。親友の菅沼と平岡、菅沼の妹の三千代との交友を回想しています。菅沼がチフスで亡くなり、その年の春に平岡と三千代は結婚しました。その間に入ったのは代助です。代助は、お金を借りるために本家に行きました。このお金は三千代のためのものです。在宅であった梅子に話をしますが断られます。その後には結婚話がありました。

たゞ結婚に興味がないと云ふ、自己に明かな事実を握つて、それに応じて未来を自然に延ばして行く気でゐる。 だから、結婚を必要事件と、初手から断定して、何時か之を成立させ様と喘る努力を、不自然であり、不合理で あり、且つあまりに俗臭を帯びたものと解釈した。

青空文庫 Kindle版 p.111

梅子から縁談話がまたありました。代助は、自分の心に素直に生きたい人間です。昔ながらの世間の常識に従うことだけに捕らわれることを嫌っています。自然に重きをおく人間です。
 喘る(あせる)

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八 兄の妻の梅子がお金を貸してくれました。平岡は三千代が借りたようなことを言います。

梅子から手紙が届きました。二百円の小切手が同封されていました。代助は二百円の小切手を持って直ぐに平岡の家に行きます。三千代は小切手を受け取りました。三千代の話では平岡は荒れていて、寝ているか酒を飲んでいるかどちらかという話です。実は、平岡の作った借金は、遊びで作ったものであることを三千代が告白しました。平岡が突然代助を訪れます。お金の御礼は言うには言うが、三千代が借りたようなことを言います。

代助は懐から例の小切手を出した。二つに折れたのを其儘三千代の前に置いて、奥さん、と呼び掛けた。代助が 三千代を奥さんと呼んだのは始めてゞあつた。

青空文庫 Kindle版 p.121

代助の三千代に対する心、あるいは二人の関係の変化が表れたのか。代助のある決心の芽生えのようなものができつつあるのか。

「そんなに弱つちや不可ない。昔の様に元気に御成んなさい。さうして些と遊びに御出なさい」と勇気をつけた。「本当ね」と三千代は笑つた。彼等は互の昔を互の顔の上に認めた。

青空文庫 Kindle版 p.122-123

二人は昔の関係が蘇りつつあるのかもしれません。
 些と(ちっと)

平岡はとうとう自分と離れて仕舞つた。逢ふたんびに、遠くにゐて応対する様な気がする。実を云ふと、平岡ばかりではない。誰に逢つても左んな気がする。
現代の社会は孤立した人間の集合体に過なかつた。大地は自然に続いてゐるけれども、其上に家を建てたら、忽ち切れ切れになつて仕舞つた。家の中にゐる人間も亦切れ切れになつて仕舞つた。文明は我等をして孤立せしむるものだと、代助は解釈した。

青空文庫 Kindle版 p.126

代助は、平岡とは精神的に別離してしまったことを悟ります。代助の嫌う現代文明が全てを切り離してしまうと断定します。文明から離れた世界で何ができるのか。そこに何を求めるのか。そこには三千代がいるのか。文明のなせる業を代助は嘆いています。

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九 代助はまた父から呼ばれました。縁談話です。

代助はまた父から呼ばれました。佐川の娘をもらえという話ですが、代助は父にいい返事をしません。

代助は人類の一人として、互を腹の中で侮辱する事なしには、互に接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀 の堕落と呼んでゐた。さうして、これを、近来急に膨脹した生活慾の高圧力が道義慾の崩壊を促がしたものと解釈してゐた。又これを此等新旧両慾の衝突と見傚してゐた。最後に、此生活慾の目醒しい発展を、欧洲から押し寄せた海嘯と心得てゐた。

青空文庫 Kindle版 p.129

代助は、生活するために道義を捨てて働かざるを得ない社会の流れを敏感に感じ取っています。「海嘯」と表現したのは、欧州から容赦なく押し寄せてくるこの流れをに抗うことはできなと考えているのでしょう。
 海嘯(つなみ、津波)

代助は凡ての道徳の出立点は社会的事実より外にないと信じてゐた。始めから頭の中に硬張つた道徳を据ゑ付け て、其道徳から逆に社会的事実を発展させ様とする程、本末を誤つた話はないと信じてゐた。

青空文庫indle版 p.130

代助は、現在の社会的事実とは相いれない過去に作られた道徳に縛られることを間違いと信じています。父のことをこのような人間と断定しています。

代助は人と応対してゐる時、何うしても論理を離れる事の出来ない場合がある。夫が為め、よく人から、相手を 遣り込めるのを目的とする様に受取られる。実際を云ふと、彼程人を遣り込める事の嫌な男はないのである。

青空文庫 Kindle版 p.139

代助は、父から結婚することを説得されます。自分にとっては論理的な自然な言葉で父に話ますが、父は怒ってしまいます。父は代助のことを全く分かっていないようです。

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十 三千代が代助を訪ねます。

代助を訪ねて三千代がやってきました。三千代は百合の花を持ってきました。

「あなた、何時から此花が御嫌になつたの」と妙な質問をかけた。

「貴方だつて、鼻を着けて嗅いで入らしつたぢやありませんか」

青空文庫 Kindle版 p.154 , p.155

三千代が百合の花を持ってきました。代助はその香りを甘たるく重苦しく感じます。
三千代の兄が生きている時、代助は三千代に百合の花を持って行ったことがありました。その時のことを三千代は憶えていたのです。

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十一 代助は、今の自分の生活のことなどについて考え続けます。

代助は、今の自分の生活のことなどについて考え続けます。
梅子が歌舞伎座に行きたいので、そのお供をするために代助がかり出されました。実は、縁談の相手に会わせるための策略でした。梅子までもが父の意向どうりに代助を結婚させようとし始めました。

外の人間と話してゐると、人間の皮と話す様で歯痒くつてならなかつた。

誠太郎の相手をしてゐると、向ふの魂が遠慮なく此方へ流れ込んで来るから愉快である。実際代助は、昼夜の区別なく、武装を解いた事のない精神に、包囲されるのが苦痛であつた。
それから先何んな径路を取つて、生長するか分らないが、到底人間として、生存する為には、人間から嫌はれる と云ふ運命に到着するに違ない。

青空文庫 Kindle版 p.158 , p.159

代助は誠太郎(誠吾の息子)のことが好きです。しかし、誠太郎がたどり着くであろう厳しい未来の姿を想像しています。

自分を此薄弱な生活から救ひ得る方法は、たゞ一つあると考へた。さうして口の内で云つた。「矢つ張り、三千代さんに逢はなくちや不可ん」

青空文庫 Kindle版 p.163

代助の頭の中は混乱しています。最終的にたどり着いたことは、三千代に逢いに行くことでした。

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十二 三千代に代助が渡した二百円は生活費に回ってしまいました。

代助は旅行することにしましたが、また本家に来るように言われます。代助は、すぐその夜に立つ気でいましたが、その前に三千代に会いに行くことにし、明朝の出立にしました。三千代に会うと、代助が渡した二百円は平岡の借金の返済ではなく、生活費に回ってしまったことがわかりました。代助は、所持していた金を勘定もせずに三千代にむりやり受け取らせました。次の日の朝、誠吾が突然やって来ました。縁談の相手を呼んで晩餐会を開くので出席しろという父の命令です。晩餐会が終わった後、父は代助から結婚の了承を引き出そうとしますが、代助は素直にうんとは言いません。

代助は嫂の肉薄を恐れた。又三千代の引力を恐れた。・・・・・代助は蒼白く見える自分の脳髄を、ミルクセークの如く廻転させる為に、しばらく旅行しやうと決心した。

青空文庫 Kindle版 p.183

代助の頭の中は極限の混乱に陥っているようです。

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十三 平岡と三千代との間には夫婦愛は全くありません。代助は、この夫婦の間は元に戻せないと感じます。

代助はまた三千代に会いに行きます。平岡と三千代との間には夫婦愛は全くなく、現実的な問題として、平岡が三千代に生活費を回さないということを三千代が話します。代助は平岡の新聞社を訪ねます。平岡の話を聞き、この夫婦の間は元に戻せないと感じます。

彼は父と違つて、当初からある計画を拵らえて、自然を其計画通りに強ひる古風な人ではなかつた。彼は自然を以て人間の拵えた凡ての計画よりも偉大なものと信じてゐたからである。

青空文庫 Kindle版 p.205

代助と父とは永遠に溶け合うことができないようです。

もし馬鈴薯が金剛石より大切になつたら、人間はもう駄目であると、代助は平生から考へてゐた。向後父の怒に 触れて、万一金銭上の関係が絶えるとすれば、彼は厭でも 金剛石を放り出して、馬鈴薯に嚙り付かなければならない。さうして其償には自然の愛が残る丈である。其愛の対象は他人の細君であつた。

青空文庫 Kindle版 p.206

代助は、父子絶縁の状態を想像するようになっています。そうなった後に残るのは、他人の細君を愛するということだけでした。

彼は普通自分の動機や行為を、よく吟味して見て、其あまりに、狡黠くつて、不真面目で、大抵は虚偽を含んで ゐるのを知つてゐるから、遂に熱誠な勢力を以てそれを遂行する気になれなかつたのである。と、彼は断然信じ てゐた。

青空文庫 Kindle版 p.228

自分の動機や行為はずるくて、不真面目で、虚偽を含んでいる。自分自身のことを考えてみると、大抵の人は少なからず当てはまる部分があるかもしれません。
 狡黠くつて(ずるくって)

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十四 代助は、縁談を断ると梅子に言います。私は好いた女があるんですと言い切ります。

代助は、父から押し付けられている結婚を許諾するか、三千代との関係を発展させるか思案します。代助の論法でいくと、この縁談を断るしかないという結論になりました。代助は父に会いに行きます。この縁談を断ると梅子に話します。梅子は代助に思いとどまるように説得しますが、代助は聞き入れません。最後に、「姉さん、私は好いた女があるんです」と言い切ります。代助は三千代を家に呼ぶことにしました。代助は、白百合の花の香に包まれながらある決心をします。

代助は、百合の花を眺めながら、部屋を掩ふ強い香の中に、残りなく自己を放擲した。彼は此嗅覚の刺激のうち に、三千代の過去を分明に認めた。其過去には離すべからざる、わが昔の影が烟の如く這ひ纏はつてゐた。彼は しばらくして、「今日始めて自然の昔に帰るんだ」と胸の中で云つた。

青空文庫 Kindle版 p.248

代助は、自然の昔、三千代と愛し合った時に戻ろうとする自分を確認したようです。昔の百合の香を感じながら。
 掩ふ(おおう)
 放擲(ほうてき)
 這ひ纏はつてゐた(はいまわっていた)

「此間百合の花を持つて来て下さつた時も、銀杏返しぢやなかつたですか」「あら、気が付いて。あれは、あの 時限なのよ」「あの時はあんな髷に結ひ度なつたんですか」「えゝ、気迷れに一寸結つて見たかつたの」「僕は あの髷を見て、昔を思ひ出した」「さう」と三千代は恥づかしさうに肯つた。

青空文庫 Kindle版 p.251-252

二人とも昔に戻ることを望んでいるとしか思えません。もうお互いの心の内を隠す必要はありません。あまりにも大きな遠回りをしてしまいました。

「僕の存在には貴方が必要だ。何うしうしても必要だ。僕は夫丈の事を貴方に話したい為にわざわざ貴方を呼んだのです」

青空文庫 Kindle版 p.255

代助は決心を三千代に告げました。

代助の言葉は官能を通り越して、すぐ三千代の心に達した。

青空文庫 Kindle版 p.255

甘い官能に訴える言葉ではなく、三千代の心の奥まで届く言葉でした。

「何故棄てゝ仕舞つたんです」と云ふや否や、又手帛を顔に当てゝ又泣いた。「僕が悪い。堪忍して下さい」

青空文庫 Kindle版 p.256

三千代にとっては、あまりにも残酷な代助の仕打ちだったのです。
 手帛(ハンケチ)

しばらくすると、三千代は急に物に襲はれた様に、手を顔に当てて泣き出した。代助は三千代の泣く様を見るに 忍びなかつた。肱を突いて額を五指の裏に隠した。二人は此態度を崩さずに、恋愛の彫刻の如く、凝としてゐた。

青空文庫 Kindle版 p.260

三千代は、代助と一緒になる覚悟を決めました。それに続く二人の描写です。「恋愛の彫刻の如く、凝としてゐ た。」・・・二人の愛が凝縮された表現です。これ以上の表現があるでしょうか。

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十五 代助と父との決戦のときです。

代助は、長く持っていた賽をとうとう投げました。父からは何の連絡もありません。代助が訪ねて行っても父は会ってくれません。ようやく本家に来るように連絡がありました。父との決戦のときです。

彼は自ら切り開いた此運命の断片を頭に乗せて、父と決戦すべき準備を整へた。父の後には兄がゐた、嫂がゐた。是等と戦つた後には平岡がゐた。是等を切り抜けても大きな社会があつた。個人の自由と情実を毫も斟酌し て呉れない 器械の様な社会があつた。代助には此社会が今全然暗黒に見えた。代助は凡てと戦ふ覚悟をした。

青空文庫 Kindle版 p.261-262

とうとう賽を投げた代助です。その先に待ち構えている難問に立ち向かう代助の決心は並大抵のものではありません。

彼は三千代に対する自己の責任を夫程深く重いものと信じてゐた。彼の信念は半ば頭の判断から来た。半ば心の 憧憬から来た。二つのものが大きな濤の如くに彼を支配した。彼は平生の自分から生れ変つた様に父の前に立つた。

青空文庫 Kindle版 p.273

とうとう父との決戦のときが来ました。

「ぢや何でも御前の勝手にするさ」・・・・・「己の方でも、もう御前の世話はせんから」

青空文庫 Kindle版 p.275

代助は、今回の縁談も断ることをはっきり父に話しました。最終的な父の言葉です。代助が予想していたこととはいえ、恐れていたことでもあります。

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十六 三千代が軽くない病気に罹りました。代助は、平岡に三千代との関係を話し、謝罪します。

代助は、すべてが進むべき方向に進んでいると考えました。しかし恐ろしかった。
代助は三千代を訪ねます。三千代が代助を信頼していることを表情から確認します。
三千代がやって来ました。美しく、生き生きとしていました。
代助は、平岡に会って三千代との関係を話し、解決をつけることを三千代に告げます。
平岡が代助を訪れます。三千代が軽くない病気に罹っていることが分かりました。
代助は、平岡に三千代との間のことを話し、謝罪します。平岡は代助に絶交を言い渡します。

彼には世間が平たい複雑な色分の如くに見えた。さうして彼自身は何等の色を帯びてゐないとしか考へられなかつた。

青空文庫 Kindle版 p.276

代助は、三千代に関わるもの以外の世間は、ただ色分けされているだけで、自分とは全く関係ない世界のように感じています。

彼は又三千代を訪ねた。三千代は前日の如く静に落ち着いてゐた。微笑と光輝とに満ちてゐた。春風はゆたかに 彼女の眉を吹いた。代助は三千代が己を挙げて自分に信頼してゐる事を知つた。其証拠を又眼のあたりに見た時、彼は愛憐の情と気の毒の念に堪えなかつた。さうして自己を悪漢の如くに呵責した。

青空文庫 Kindle 版 p.277

三千代は三年間辛い思いをして生きてきた。その原因は代助にある。愛する者に辛い人生を強いた代助の心は複雑です。自己を責めます。

彼の頭の中には職業の二字が大きな楷書で焼き付けられてゐた。それを押し退けると、物質的供給の杜絶がしきりに踊り狂つた。それが影を隠すと、三千代の未来が凄じく荒れた。彼の頭には不安の旋風が吹き込んだ。三つ のものが巴の如く瞬時の休みなく回転した。其結果として、彼の周囲が悉く回転しだした。

青空文庫 Kindle版 p.278

三千代との愛を貫くことを確定させた代助は、これから起こるであろう現実に直面しなければなりません。これは覚悟していたことですが、代助の頭の中はぐるぐる回っています。

「ある事は承知してゐます。何んな変化があつたつて構やしません。私は此間から、―― 此間から私は、若もの事があれば、死ぬ積で覚悟を極めてゐるんですもの」

青空文庫 Kindle版 p.283

代助は、私は一人前の人間ではないので、三千代に対する物質上の責任を当分の間果たせないと告げます。それに対する三千代の反応です。辛い三年間を過ごしてきた三千代です。覚悟は相当のものです。

「漂泊でも好いわ。死ねと仰しやれば死ぬわ」

青空文庫 Kindle版 p.283

すごい言葉、すごい覚悟です。

「矛盾かも知れない。然し夫は世間の掟と定めてある夫婦関係と、自然の事実として成り上がつた夫婦関係とが 一致しなかつたと云ふ矛盾なのだから仕方がない。僕は世間の掟として、三千代さんの夫たる君に詫まる。然し 僕の行為其物に対しては矛盾も何も犯してゐない積だ」

青空文庫 Kindle版 p.298

代助が平岡に謝った後の平岡に対する言葉です。謝罪してはいるものの、対決のようにも思えます。

「平岡、僕は君より前から三千代さんを愛してゐたのだよ」平岡は茫然として、代助の苦痛の色を眺めた。「其時の僕は、今の僕でなかつた。君から話を聞いた時、僕の未来を犠牲にしても、君の望みを叶へるのが、友達の 本分だと思つた。

青空文庫 Kindle版 p.301

実際、代助はその当時、平岡のために愛する女性のことを諦めるほど、平岡を親友と思っていました。平岡は働き始めてから人が変わってしまいました。平岡が夫の責任を果たさず、三千代を愛していない以上、代助が三千代との愛を成就させるのは道徳に反することではないでしょう。

僕が君に対して真に済まないと思ふのは、今度の事件より寧ろあの時僕がなまじいに遣り遂げた義俠心だ。X

青空文庫 Kindle版 p.301

代助と平岡は親友だった。二人は若かった。悲劇です。

「あつ。解つた。三千代さんの死骸丈を僕に見せる積なんだ。それは苛い。それは残酷だ」

青空文庫 Kindle版 p.304

平岡は代助に絶交を言い渡します。代助は三千代の病状が心配なので会わせてくれと頼みますが、平岡は了承しません。平岡は、病気が直ってから三千代を代助に渡すと言います。それに対する代助の言葉です。もしも代助の言う通りであればあまりにも残酷です。悲劇です。

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十七 親子絶縁の時がやってきました。

代助は三千代の容体が心配で平岡の家の前まで何回も行きます。家の中は静まりかえっていて様子がわかりません。
突然、誠吾がやってきました。平岡が父に手紙を送ったのです。その手紙には、今回の事件のことが書かれていました。誠吾は父の使いでやって来たのです。手紙の内容が本当なら親子絶縁ということです。誠吾も手紙の内容が事実であることを確認し、おれももう会わないと言い捨てて帰りました。

三千代以外には、父も兄も社会も人間も悉く敵であつた。彼等は赫々たる炎火の裡に、二人を包んで焼き殺さう としてゐる。

青空文庫 Kindle版 p.311
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