『門』を読み解く

 宗助と妻の御米は、彼らが為した不徳義な結婚により、社会から非難されるべき立場の者として、一般社会とは距離をおいて生活しています。
 御米には耐え難い辛い過去があります。
 宗助には通り抜けなければならない門があります。

  1. 一 主人公の宗助は妻の御米と暮らしています。
  2. 二 宗助は、五六年前は余裕のある生活をしていたようです。
  3. 三 宗助、弟の小六と御米が会話をしています。
  4. 四 宗助は転勤になり、夫婦は東京に帰りました。
    叔母から、もう小六の面倒は見られないという話があります。
  5. 五 小六は宗助夫妻と同居することになりました。
  6. 六 宗助と御米は生活に困り、屏風を処分することになりました。
  7. 七 宗助は始めて家主の坂井に会いました。
  8. 八 小六がとうとう宗助の家に引っ越してきました。
  9. 九 泥棒が置いていった物を宗助が坂井に届けたことをきっかけに、二人は親しくなりました。
  10. 十 小六がどこからか金を借りるか貰っていると宗助は疑います。
  11. 十一 暮の二十日過ぎになって御米の健康状態が悪くなります。
  12. 十二 年の暮には御米の発作は治まりました。
  13. 十三 宗助は、淋しい我が家のことをついつい御米に話してしまいます。
  14. 十四 宗助は、学生時代に友だちの安井の家で初めて御米に出会いました。
  15. 十五 宗助一家の年の瀬の様子です。
  16. 十六 家主の坂井から、弟と安井が蒙古から帰り、坂井の家に来るという話があります。
  17. 十七 宗助は安井には会いませんでした。
  18. 十八 宗助は、座禅をするために役所を休んで10日ほど鎌倉に行きます。
  19. 十九 老師から出された公案の解答をもって宗助は老師に相見します。
  20. 二十 老師から宗助をぎくりとさせる話があります。
  21. 二十一 老師から出された公案の解答は、最初に考えたもの以外には出てきませんでした。
  22. 二十二 宗助は自宅に帰りました。坂井の弟と安井は蒙古に帰っていったようです。
  23. 二十三 小六は坂井の家の書生に収まり、宗助夫婦は落ち着きます。

一 主人公の宗助は妻の御米と暮らしています。

一 宗助は役所に勤めていて、妻の御米と暮らしています。
宗助には弟の小六から頼まれていることがあります。職のことのようです。

二 宗助は、五六年前は余裕のある生活をしていたようです。

二 宗助は、小六の職のことで佐伯宛の手紙を出しに町に出ます。町で見つけた半襟を妻に買おうかと思いますが、そりゃ五六年前の事だと止めます。五六年前は余裕のある生活をしていたようです。帰ると小六が来ていました。

そうして明日からまた例によって例のごとく、せっせと働らかなくてはならない身体だと考えると、今日半日の 生活が急に惜しくなって、残る六日半の非精神的な行動が、いかにもつまらなく感ぜられた。

青空文庫 Kindle版 p.14

宗助にとって、今の勤め先でせっせと働くのは非精神的な行動です。

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三 宗助、弟の小六と御米が会話をしています。

三 宗助、小六と御米が会話をしています。伊藤博文暗殺のことなどが話題に上がっています。

四 宗助は転勤になり、夫婦は東京に帰りました。
叔母から、もう小六の面倒は見られないという話があります。

佐伯から返事の手紙が来ました。安之助(宗助の従兄弟)は神戸へ行っていて、遠からぬうちに帰ってくると書いてあります。しばらくこの件はお預けになりました。
小六と宗助は10歳ほど離れています。母が亡くなり、宗助が学生の時に父も亡くなりました。小六は叔父の佐伯に預けられました。
父が残した財産は思うほどなく、借金がかなりありました。宗助は、家屋敷の売却を叔父に一任しました。
宗助は、手元に残った二千円の半分を叔父に預け、小六の面倒を依頼しました。
家屋敷は売れたのですが、叔父は、立替た金額以上の金額で売れたというだけで、うやむやの状態になってしまいました。
宗助は転勤になり、夫婦は東京に帰りました。
宗助が家屋敷処分のお金の件を佐伯に話さないうちに、叔父が亡くなってしまいます。
叔母から、家屋敷の処分代金、宗助が預けたお金はもうなくなってしまい、書画骨董の処分は騙されて入らず、もう小六の面倒は見られないという話があります。宗助に残されたのは屏風が一つだけです。

当時の自分が一図に振舞った苦い記憶を、できるだけしばしば呼び起させるために、とくに天が小六を自分の眼 の前に据え付けるのではなかろうかと思った。そうして非常に恐ろしくなった。

青空文庫 Kindle版 p.29

宗助と御米とは仲がよさそうですが、宗助には暗い過去があります。弟の小六の行動が書生時代の自分に似ていることを気にします。

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五 小六は宗助夫妻と同居することになりました。

小六は宗助夫妻と同居することになりました。佐伯は、小六のためのお金をもう一切出さないようです。

六 宗助と御米は生活に困り、屏風を処分することになりました。

御米の体調が悪いようです。小六はなかなか宗助の家に引っ越してきません。宗助と御米は生活に困り、例の屏風を処分することになりました。小道具屋は最初7円と言いましたが、最終的に35円で引き取ることになりました。

七 宗助は始めて家主の坂井に会いました。

宗助と御米は珍しく家主の坂井について話しています。その坂井の家に泥棒が入ります。泥棒が盗んで外に置いていった文庫や蒔絵などを宗助が坂井に届けます。宗助は始めて坂井に会いました。

学校をやめた当座は、順境にいて得意な振舞をするものに逢うと、今に見ろと云う気も起った。それがしばらくすると、単なる憎悪の念に変化した。ところが一二年このかたは全く自他の差違に無頓着になって、自分は自分のように生れついたもの、先は先のような運を持って世の中へ出て来たもの、両方共始から別種類の人間だから、ただ人間として生息する以外に、何の交渉も利害もないのだと考えるようになってきた。

青空文庫 Kindle版 p.78-79

他人との利害関係を持たない生活は平穏です。しかし、今の生活は、学生時代に宗助が思い描いていた将来像とは全く違ったものです。これから宗助はどうするのか。どこかへ行きたいがどいへも行けないという状態なのか、ただ生きて、現状に留まるしかないという完全な諦めの状態なのか。

八 小六がとうとう宗助の家に引っ越してきました。

小六がとうとう宗助の家に引っ越してきました。

彼らは障子を張る美濃紙を買うのにさえ気兼をしやしまいかとかと思われるほど、小六から見ると、消極的な暮し方をしていた。

青空文庫 Kindle版 p.92

小六から観た宗助夫婦の生活です。宗助がそうだったように、小六にも希望に充ちた将来があります。

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九 泥棒が置いていった物を宗助が坂井に届けたことをきっかけに、二人は親しくなりました。

泥棒が置いていった物を宗助が坂井に届けたことをきっかけに、二人は親しくなりました。
坂井が、「抱一」の屛風を小道具屋から買ったと言います。これは宗助が売った屏風でした。坂井は、この屏風を80円で買ったといいます。宗助は、この屏風に関することの顛末を坂井に話しました。

かえって主人が口で子供を煩冗がる割に、少しもそれを苦にする様子の、顔にも態度にも見えないのを羨ましく 思っ た。

青空文庫 Kindle版 p.107

宗助が、屏風を見せてもらうために坂井の家を訪問した場面です。宗助夫妻には子供がありません。死産などで三回も悲しい経験をしています。
煩冗がる(うるさがる)

十 小六がどこからか金を借りるか貰っていると宗助は疑います。

小六は酒を飲みに行くことが多くなりました。御米が心配しています。小六がどこからか金を借りるか貰っていると宗助は疑います。

そうしてその有望な前途を、安之助がすでに手の中に握ったかのごとき口気であった。かつその多望な安之助の 未来のなかには、同じく多望な自分の影が、含まれているように、眼を輝やかした。

青空文庫 Kindle版 p.111

安之助は、前途有望と考えてある事業を手掛けています。小六はこの事業に加わって実業家として成功することが約束されているように思っています。宗助は、青年であった頃の自分と小六を重ね合わせ、小六の将来を明るいものと思えないようです。しかし、小六は安之助の事業展望に不安を抱き始めます。

要するに彼ぐらいの年輩の青年が、一人前の人間になる階梯として、修むべき事、力むべき事には、内部の動揺 やら、外部の束縛やらで、いっさい手が着かなかったのである。

青空文庫 Kindle版 p.113-114

小六は家にいては落ち着くことができず、数人の友だちの家を訪ね回ります。毎日無駄な時間を過ごしているようです。
階梯(かいてい)

十一 暮の二十日過ぎになって御米の健康状態が悪くなります。

暮の二十日過ぎになって御米の健康状態が悪くなり、発作に見舞われます。小六が来てから生活環境が悪くなり、ストレスが溜まっていたのも一因のようです。

十二 年の暮には御米の発作は治まりました。

年の暮には御米の発作は治まりました。

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十三 宗助は、淋しい我が家のことをついつい御米に話してしまいます。

年の暮に宗助は御米のために反物を買いました。その日、宗助は子供がいない淋しい気持ちを御米に話します。実は、御米は三度懐妊しているのですが、未だに子供を授かっていません。御米はこのことを大変気に病んでいます。明るい坂井の家を見て、淋しい我が家のことがついつい宗助の口から出てしまいました。

「なに金があるばかりじゃない。一つは子供が多いからさ。子供さえあれば、大抵貧乏な家でも陽気になるもの だ」と御米を覚した。その云い方が、自分達の淋しい生涯を、多少自ら窘めるような苦い調子を、御米の耳に伝えたので、御米は覚えず膝の上の反物から手を放して夫の顔を見た。

青空文庫 Kindle版 p.135

坂井の家に来た織屋から反物を買い、家に帰って宗助が御米に話したことです。坂井の家は、余裕があるばかりでなく子供が三人いる明るい家庭です。御米には辛い言葉でした。
窘める(たしなめる)

御米は広島と福岡と東京に残る一つずつの記憶の底に、動かしがたい運命の厳かな支配を認めて、その厳かな支配の下に立つ、幾月日の自分を、不思議にも同じ不幸を繰り返すべく作られた母であると観じた時、時ならぬ呪詛の声を耳の傍に聞いた。

青空文庫 Kindle版 p.143

御米には耐え難い辛い過去があります。子供のことです。「動かしがたい運命の厳かな支配」・・・このような運命を背負わされた御米はどのように生きていけばよいのか。

十四 宗助は、学生時代に友だちの安井の家で初めて御米に出会いました。

宗助は、学生時代に友だちの安井の家で初めて御米に出会いました。
安井は御米を妹だと宗助の紹介しますが、宗助は疑いをもちます。
宗助と御米は、社会から棄てられ、社会から離れて二人寄り添って生きることになります。

二人の精神を組み立てる神経系は、最後の繊維に至るまで、互に抱き合ってでき上っていた。彼らは大きな水盤 の表に滴たった二点の油のようなものであった。水を弾いて二つがいっしょに集まったと云うよりも、水に弾か れた勢で、丸く寄り添った結果、離れる事ができなくなったと評する方が適当であった。

青空文庫 Kindle版 p.147

社会から冷ややかな目で見られている二人は、お互いが絶対的に必要な存在です。

彼らは自然が彼らの前にもたらした恐るべき復讐の下に戦きながら跪ずいた。同時にこの復讐を受けるために得 た互の幸福に対して、愛の神に一弁の香を焚く事を忘れなかった。彼らは鞭たれつつ死に赴くものであった。ただその鞭の先に、すべてを癒やす甘い蜜の着いている事を覚ったのである。

青空文庫 Kindle版 p.148

宗助と御米の結婚は恐るべき犠牲を伴うものでした。社会的には不徳義のものです。社会から非難されながら死んでいくことを覚悟しています。それが故、宗助と御米は一つの有機体のようなもので、非難を乗り越えるだけの強烈な愛に包まれています。
「ただその鞭の先に、すべてを癒やす甘い蜜の着いている事を覚ったのである。」
「愛」を貫くことと厳しい現実。すごい表現です。
戦き(おののき)

宗助は過去を振り向いて、事の成行を逆に眺め返しては、この淡泊な挨拶が、いかに自分らの歴史を濃く彩った かを、胸の中であくまで味わいつつ、平凡な出来事を重大に変化させる運命の力を恐ろしがった。

青空文庫Kindle版 p.161

安井の妹御米と宗助との出会いは平凡なものでした。ごく普通の挨拶から始まったのですが、強力な運命に導かれ、二人は社会的には許されない結婚をしたのです。

宗助は当時を憶い出すたびに、自然の進行がそこではたりと留まって、自分も御米もたちまち化石してしまったら、かえって苦はなかったろうと思った。

青空文庫 Kindle版 p.166

宗助と安井が親交を深め、それに御米が加わって三人は幸せでした。

彼らは残酷な運命が気紛に罪もない二人の不意を打って、面白半分穽の中に突き落したのを無念に思った。

青空文庫 Kindle版 p.166

宗助と御米に何があったのかは分かりません。突然の不幸が二人を襲ったことは確かです。
穽(おとしあな)

彼らは蒼白い額を素直に前に出して、そこに燄に似た烙印を受けた。そうして無形の鎖で繫がれたまま、手を携えてどこまでも、いっしょに歩調を共にしなければならない事を見出した。彼らは親を棄てた。親類を棄てた。友達を棄てた。大きく云えば一般の社会を棄てた。もしくはそれらから棄てられた。学校からは無論棄てられた。
燄(ほのお)

青空文庫 Kindle版 p.166

宗助と御米は社会から棄てられ、二人だけの世界を手を携えて歩むしか道はなくなったのです。

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十五 宗助一家の年の瀬の様子です。

宗助一家の年の瀬の様子です。御米の健康状態は悪くないようです。無事に新しい年を迎えられるようです。

十六 家主の坂井から、弟と安井が蒙古から帰り、坂井の家に来るという話があります。

新年になり、坂井から遊びに来るよう誘いがあります。最初は小六が行きました。7日にもう一度来るように誘いがあり、宗助が行きました。坂井から、小六を書生によこさないかという提案があり、話はほぼその場でまとまりました。その後の話が恐ろしいものでした。坂井の弟が蒙古から帰って来ていて、安井という男と一緒に坂井の家に来るから宗助にも来てくれというのです。まさか・・・

「・・・それで、御正月らしくない、と云うと失礼だが、まあ世の中とあまりあまり縁のないあなた、と云ってもまだ失敬かも知れないが、つまり一口に云うと、超然派の一人と話しがして見たくなったんで、それでわざわざ使を上げたような訳なんです」

青空文庫 Kindle版 p.176

来客の宗助に坂井が話したことです。坂井は大変社交的な人です。1日から来客が多くて大変だったようです。宗助の過去を知らない坂井からは、宗助は超然派の人間に見えるようです。社交の人と世間から離れて暮らす人の接点は何なのでしょうか。

彼は平凡な宗助の言葉のなかから、一種異彩のある過去を覗くような素振を見せた。しかしそちらへは宗助が進みたがらない痕迹が少しでも出ると、すぐ話を転じた。それは政略よりもむしろ礼譲からであった。したがって宗助には毫も不愉快を与えなかった。

青空文庫. Kindle 版p.178

社交家の坂井から見て、宗助は興味をそそれらる独特の存在のようです。

十七 宗助は安井には会いませんでした。

宗助と御米が原因で安井は学校をやめ、満州に渡り、その後は蒙古で冒険的な仕事をしています。その安井が目の前に現れることに宗助は絶望的な運命を感じます。宗助は坂井の家には行きませんでした。
宗助は、学校時代の旧友が座禅をしていたことを思い浮かべました。

彼らは安井を半途で退学させ、郷里へ帰らせ、病気に罹らせ、もしくは満洲へ駆りやった罪に対して、いかに悔恨の苦しみを重ねても、どうする事もできない地位に立っていたからである。

青空文庫 Kindle版 p.184

宗助と御米は安井に対して何をしたのか。そして坂井の弟と一緒に坂井の家に来るのは「安井」なのか。宗助は「安井」だと断定しています。
「安井」と別れて数年が経っています。「時日がすべての傷口を癒す」という宗助の格言は崩れ去ってしまうようです。

十八 宗助は、座禅をするために役所を休んで10日ほど鎌倉に行きます。

宗助は、座禅をするために役所を休んで10日ほど鎌倉に行きます。
宜道という若い僧の世話になります。
老師から、「父母未生以前本来の面目は何か」という公案が出されました。

彼は悟という美名に欺かれて、彼の平生に似合わぬ冒険を試みようと企てたのである。そうして、もしこの冒険 に成功すれば、今の不安な不定な弱々しい自分を救う事ができはしまいかと、はかない望を抱いたのである。

青空文庫 Kindle版 p.204

宗助には学生時代に禅を組む学友がいて、それを迂闊だと言って笑っていたのですが、禅によって今の自分を救うことができるかもしれないと考えたのでした。宗助の頭の中はカオス状態のようです。

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十九 老師から出された公案の解答をもって宗助は老師に相見します。

老師から出された公案の解答をもって宗助は老師に相見します。

彼はこの心細い解答で、僥倖にも難関を通過して見たいなどとは、夢にも思い設けなかった。老師をごまかす気 は無論なかった。その時の宗助はもう少し真面目であったのである。単に頭から割り出した、あたかも画にかい た餅のような代物を持って、義理にも室中に入らなければならない自分の空虚な事を恥じたのである。

青空文庫 Kindle版 p.213

老師から出された公案の解答をする前の宗助の様子です。ここまで自分の無力を感じたことはなかったのかもしれません。

この面前に気力なく坐った宗助の、口にした言葉はただ一句で尽きた。「もっと、ぎろりとしたところを持って 来なければ駄目だ」とたちまち云われた。「そのくらいな事は少し学問をしたものなら誰でも云える」宗助は喪家の犬のごとく室中を退いた。

青空文庫 Kindle版 p.215

宗助と相見した老師は、宗助が公案に対する解答をどのように導き出したか、どの程度考えたか、たちまち見破ってしまったようです。

二十 老師から宗助をぎくりとさせる話があります。

宜道がこの寺に来てからの話を聞き、宗助は自己の根気と精力の足りなさに苛立ちます。
宜道の話を聞いても宗助は座禅に集中できません。
提唱(講義)があり、老師から宗助をぎくりとさせる話があります。

「ようやくこの頃になって少し楽になりました。しかしまだ先がございます。修業は実際苦しいものです。そう容易にできるものなら、いくら私共が馬鹿だって、こうして十年も二十年も苦しむ訳がございません」宗助はただ 惘然とした。自己の根気と精力の足らない事をはがゆく思う上に、それほど歳月を掛けなければ成就できないものなら、自分は何しにこの山の中までやって来たか、それからが第一の矛盾であった。

青空文庫 kindle版 p.217

得意にふるまったてい学生時代。不徳義な結婚。社会との接触を避けた御米との地味な生活。思いもかけぬ安井の出現。過去には全く意識していなかった禅への依存。座禅が満足にできないという現実。宗助はいらだちます。

「この頃室中に来って、どうも妄想が起っていけないなどと訴えるものがあるが」と急に入室者の不熱心を戒しめ出したので、宗助は覚えずぎくりとした。室中に入って、その訴をなしたものは実に彼自身であった。

青空文庫 Kindle版 p.219

自ら望んだ座禅でありましたが、宗助は不熱心な者と老師にみなされてしまいます。

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二十一 老師から出された公案の解答は、最初に考えたもの以外には出てきませんでした。

老師から出された公案の解答は、最初に考えたもの以外には出てきませんでした。

彼は直截に生活の葛藤を切り払うつもりで、かえって迂濶に山の中へ迷い込んだ愚物であった。

青空文庫 Kindle版 p.221

禅にかすかな希望を見出したと思った宗助ですが、自身の無能、無力を確認しただけで終わってしまったようです。

自分は門を開けて貰いに来た。けれども門番は扉の向側にいて、敲いてもついに顔さえ出してくれなかった。ただ、「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」と云う声が聞えただけであった。

青空文庫 Kindle版 p.223

厳しい現実です。宗助は門を通り抜けることができません。
敲いて(たたいて)

彼自身は長く門外に佇立むべき運命をもって生れて来たものらしかった。それは是非もなかった。けれども、どうせ通れない門なら、わざわざそこまで辿りつくのが矛盾であった。彼は後を顧みた。そうしてとうていまた元 の路へ引き返す勇気を有たなかった。彼は前を眺めた。前には堅固な扉がいつまでも展望を遮ぎっていた。彼は 門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の 暮れるのを待つべき不幸な人であった。

青空文庫 Kindle版 p.223-224

これ以上の苦しい境地があるでしょうか。後にも先にも引けず、ただ門の下に留まって日の暮れるのを待つしかないというのは、絶望的な状況です。

二十二 宗助は自宅に帰りました。坂井の弟と安井は蒙古に帰っていったようです。

宗助は自宅に帰りました。坂井の弟と安井は蒙古に帰っていったようです。安井の様子などを確かめたかったのですが、宗助にはそれを根掘り葉掘り聞く勇気がありませんでした。

「・・・何でも元は京都大学にいたこともあるんだとか云う話ですが。どうして、ああ変化したものですかね」

青空文庫 Kindle版 p.228

始めて安井に会った坂井にとっても、安井の変化には何かあると疑っているようです。

二十三 小六は坂井の家の書生に収まり、宗助夫婦は落ち着きます。

俸給が上がり、小六は坂井の家の書生に収まり、冬が過ぎ、宗助夫婦は落ち着きます。

「本当にありがたいわね。ようやくの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く 延びた爪を剪りながら、「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。

青空文庫 Kindle版 p.233-234

宗助は、一生門の下に佇み続けなければならないのでしょうか。

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