漱石の経歴と時代背景

経歴

東京(現在の新宿区)で生まれる。

1867年2月9日(慶応3年1月5日)~1916年(大正5年)12月9日 (49歳)

帝国大学(現在の東京大学)英文科を卒業。熊本の高等学校教師などを歴任。

1900年(明治33年)に国の命によりイギリスへ留学。イギリスではひどい神経衰弱に陥り、任期途中での帰国となった。

帰国後は、東京帝国大学(現在の東京大学)の講師などを務めた。

1905年(明治38年)10月から1907年(明治40年)5月に執筆した『吾輩は猫である』で小説家としてデビュー。

漱石の家(漱石山房)には門人のほか多く来客があり、作家活動に支障があるという理由で、毎週木曜日だけを面会の日とした。これが後の「木曜会」となった。この会のメンバーには芥川龍之介もいた。「木曜会」は議論の場であり、師弟関係のようなものはあまりなかったという。

正岡子規との親交が深く、漱石は俳人でもあった。「漱石」というペンネームは、正岡子規から譲り受けたものである。漱石がイギリス留学中に正岡子規は亡くなっています。

常に胃病に悩まされ、43歳のときには「修善寺の大患」と呼ばれる大吐血を起こし、一時危篤状態に陥った。たびたび精神病にも悩まされた。

『こころ』は、漱石の代表作の中でも人気が高い。人間の心の深奥に迫る読み応えのある作品。何度か映画化されている。

 漱石は、作品の中に自身のことをよく書いています。例えば『吾輩は猫である』の中では、神経衰弱、胃弱、ジャムをなめることなどが書かれています。

 1916年12月9日、自宅で息を引き取りました。『明暗』は未完となりました。

時代背景

 漱石が生まれたのは1867年で大政奉還の年です。

 漱石が生きた時代に、日本は、日清戦争、日露戦争に勝利し、第一次世界大戦へと進んでいきました。漱石は、戦争、明治維新、近代化、西欧化という激動の時代を生きた人です。

 第一次世界大戦(1914年~1918年)の最中に他界しています。

1867年 徳川慶喜が大政奉還 (1867年2月19日 漱石生誕)

明治時代(1868年9月4日~1912年7月30日)

1868年 戊辰戦争(~1869年)

1877年 西南戦争

1889年 大日本帝国憲法の公布

1894年~1895年 日清戦争

1902年 日英同盟締結

1904年~1905年 日露戦争

『吾輩は猫である』 (1905年~1906年)

『坊っちゃん』(1906年)

『草枕』(1906年)

『三四郎』(1908年)

『それから』(1909年)

1910年 日韓併合

1911年 関税自主権の回復

『門』(1910年)

『彼岸過迄』(1912年)

『行人』(1912年~1913年)

大正時代(1912年7月30日~1926年12月26日)

1914年~1918年 第一次世界大戦

『こころ』(1914年)

1916年12月9日 漱石永眠

『明暗』(1917年)

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